002_私たちについて
私たちについて
誰もが自転車に乗ることのできる明日へ
タンデム自転車とパイロット
心がちょっとだけハンサムな仲間・・・
ハンサム団の交流・連携
ハンサム団のタンデム届けます
ハンサム団のわかってもらいたい
ハンサム団の技術アップと交流ツーリング
サイクリング大会への障がい者参加
軽井沢ご当地あるあると、タンデム自転車
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わたしたちは、心がちょっとだけハンサムな仲間が集い、 誰もが自転車に乗ることのできる明日の架け橋をいっしょにつくろうとしています。
2025年に国が公表した「令和6年版障害者白書」では、 人口のおよそ 9.2% 程度、18歳未満だけでも9.7万人(人口の2.3%)とその家族が、 何らかの障害と向き合いながら暮らしているとされています。
自転車はとても身近で、誰でも普通に乗る機会があり、 自転車に乗ることも乗らない事も、自由に選べそうに思えますが、 障がいをもつ方たちの中には、一生に一度も自転車に乗る機会が訪れない方がとてもたくさんいます。
わたしたちは、ペダルを漕いで走り出した瞬間のワクワクするような気持ちよさを、 感じることのできるチャンスを広げていきたいのです。
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タンデム自転車は、英語ではTandem Cycling、Tandem Bicycleと呼ばれます。
1台の自転車に、2人が前後に並んでペダルを漕ぐタンデム自転車の歴史は古く、 100年以上前の1893年に、デンマーク人のミカエル・ペデルセンが特許を取得したという記録も残されています。
友人や恋人といっしょにペダルを踏むだけでなく、身体的なハンディキャップを持っている人も サイクリングを楽しめることが高く評価され、19世紀末には広く普及し市民権を得たとされています。
1908年ロンドン大会など複数の五輪で正式種目となり、1984年にはパラリンピックの正式種目にも採用されています。
タンデム自転車の前席の乗る人を「パイロット(英:Pilot)」または「キャプテン(英:Captain)」と呼び、 後席に乗る人を「コ・パイロット(英:Co-pilot)」または「ストーカー(英:Stoker)」と呼びます。
ハンドル、ギア、ブレーキ操作を担当するパイロットがいて、2人が協力してペダルを漕いで自転車を走らせるタンデム自転車は、 ハンディキャップを持つ人も自転車に乗ることができるユニークな自転車の一つです。
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わたしたちの活動は、パイロットや障がい者サイクリングをアシストする、 心がちょっとだけハンサムな仲間(ハンサム団員)たちで行われています。
ハンサム団員は、障がい者施設やチャリティーイベントなどでのタンデム体験。
パイロットのタンデム技術アップと交流を兼ねたツーリング。
毎年5月に開催される軽井沢のサイクリング大会への障がい者参加サポートなどに、 それぞれ無理のない範囲で参加しています。
一人でも多くの障がい者がサイクリングを楽しむため、ハンサム団もたくさんの仲間を必要としています。
わたしたちは、無謀にも「ハンサム団、とりあえず目標3,000人!」を掲げてみました。
もし、目標を達成できたら、さらにその先へ。
なかなか目標にとどかなかったら、ハンサム・ギアを一段上げてもうひと漕ぎ!
一緒に走っていこうと考えています。
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わたしたちだけでなく、タンデム自転車で障がい者サイクリングを支援する団体やクラブは全国で活動しています。
障がい者サイクリングを一層もりあげていくため、わたしたちは全国の先輩たちに学び、タンデム技術を高めていきたいと考えています。
わたしたちの活動のスタートにあたっては、愛媛県松山市を拠点に活動をつづけている「NONちゃん倶楽部」が手を差し伸べてくれました。
NONちゃん倶楽部はわたしたちの母であり、わたしたちはNONちゃん倶楽部が遠く離れた軽井沢の地に育んだ子の一人です。
わたしたちは、NONちゃん倶楽部の親孝行な子の一人として成長していきたいと考えています。
障がい者サイクリングへの理解をもっと広めるため、NONちゃん倶楽部はじめ、 全国の団体やクラブとの交流や発見もみなさんにお届けしていきます。
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障がいをかかえることで、施設で暮らす必要のある方は推計で全国に数十万人いるとされています。
こうした中、施設運営のみなさんもさまざまなレクリエーションを催すなどされ、 日々利用者のみなさんの暮らしの充実に苦心されています。
わたしたちは、タンデム自転車を持参し、施設利用者のみなさんにも自転車に乗る機会を届けていきます。
施設利用の皆さんが、一緒にペダルを漕いで自転車を走らせたときに見せてくれる笑顔と、 その笑顔をみたときの施設運営スタッフの皆さんの喜びが、ハンサム団に力を与えてくれています。
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自転車の危険なイメージ、ネガティブなイメージに不安を抱く人も少なくありません。
ましてや障がい者サイクリングともなれば、「障がい者が自転車なんて乗ったら余計に・・・」と 不安が大きくなることもあるかと思います。
わたしたちは、自転車の危険やネガティブなことにもしっかり向き合い、 サイクリストの技術やマインド醸成を進める一方で、「自転車に乗ると楽しい」こと、 「この楽しみをハンディキャップを持つ人とも分かち合いたい」ことを伝えていき、 一緒に考えてくれる人を増やしていきたいと考えています。
障がい者だけでなく健常者にも、子供から大人までタンデム自転車に乗っていただくため、 チャリティーイベントなどでのタンデム自転車試乗会も行っていきます。
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ハンサム団のタンデム技術向上のため、公道ツーリングを年数回開催していきます。
現在、まだわたしたちが自由に使えるタンデム自転車が3機しかないのが残念ですが、 みなさんの支援を得て少しづつ増車していきたいと考えています。
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わたしたちは、障がい者だけが集まって走るだけでなく、健常者のみなさんのサイクリング大会にも、 同じように参加できるよう仕組みづくりをしていきたいと考えています。
全国各地でたくさんのサイクリング大会が催されていますが、障がい者が参加するには、 主催者が受け入れたいという気持ちだけでは、なかなか実現しないのが実状です。
大会運営のみなさんは、参加者の安全確保や大会運営とその維持に、膨大な時間と労力をかけていられると思います。
こうした中で、新しい対応をすることの準備が整わず、受け入れを先送りしてしまう事もあると思います。
また、ハンディを抱える参加者を受け入れる事は、実はそれほど難しいことではないのですが、 ハードルの高さをイメージしてしまい、障がい者に不便を感じさせてしまうのではないかという、 漠然とした配慮が働いてしまうのだと思います。
現在、長野・群馬2県6市町村で開催される浅間山麓ロングライド「サイクリング・フェスティバルASAMA」では、 障がい者も健常者と同じように大会に参加できるようになりたいというわたしたちの希望に応え、 障がい者のタンデム参加のための大会づくりを一緒に考えてくれています。
2024年春大会で視覚障がいの中距離カテゴリーのテスト走行を行い、翌2025年の春と秋大会では長距離カテゴリーで、 一般と同様にエントリーした計5組の障がい者タンデムが、健常者サイクリストと一緒に出走。全員無事に完走を果たしました。
サイクリング・フェスティバルASAMAは、この障がい者タンデムのプログラムを、 全国の他大会でもスムーズに導入できるようにも協力してくれています。
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いまから130年以上前の19世紀末、ヨーロッパでタンデム自転車が誕生した当時の日本は明治の半ばを過ぎたばかり。
碓氷峠を越える鉄道が開通し、外国人客専用に改築された万平ホテルが誕生するなど、 多くの欧米外国人が利用する避暑地として広く知られ始めた頃です。
当時時代の最先端だった自転車も、外国人と共に軽井沢へやってきました。
タンデム自転車が軽井沢でみられるようになった時期は定かではありませんが、 避暑に訪れる外国人の利用が始まり、広まったといわれています。
この軽井沢での観光レンタサイクルの普及と利用が呼び水となったことで、長野県はタンデム自転車公道走行解禁の先駆けとなったようです。
50年近く前、1978年(昭和53年)のことです。
軽井沢でタンデム自転車が町を走っているのはごく普通で、日常に溶け込んでいます。
あまりにあたりまえすぎて、ここがタンデム自転車公道走行解禁発祥の地であることは、 実は地元ではほぼ忘れ去られています。
「え?タンデム自転車って道路走ったらいけなかったの?」といった反応をする人がほとんどだと思います。
2010年ごろから全国にタンデム自転車公道走行解禁のブームが起こった時、わたしたちはあまりお役に立ててなかっただと思います。
各地から問い合わせがあったり、取材があってあらためて思い出すといった具合で、
「ああ、そういえば・・・」
ぐらいしか応えられなかったのをよく覚えてます。
軽井沢でタンデム自転車公道走行解禁されてから間もなく50年。
タンデム自転車があたりまえになったことと同じように 「障がい者が自転車に乗れることが、軽井沢のあたりまえ」になってくれることを願っています。
30年ぐらいたったら、
「え?障がい者もebike乗ったらええでないですか?」
「AIパイロット機能付いてますし」
「昔はね、人間のパイロットが乗るタンデム自転車っていうのがありましてね・・・」
なんていう、ハンサムな昔話が聴けたらいいですね。
